整体には、地よさや癒しを与える慰安療法と根治を目的とした療法の二種あります。 慰安療法は、主に体の不調を取り除き活力を与える、また根治した症状を再発しないための療法です。 根治療法は、痛みの原因を的確に把握し、疾患を根本から治す療法です。 整体師の大半はどちらも行っているのですが、傾向としては慰安療法を行う整体師が多いようです。 しかし、根治療法なくして整体とは言えません。 特に身近な疾患、「肩こり」や「腰痛」、「五十肩」、「膝痛」や「坐骨神経痛」等の治療法のマスターは必須で、これだけで十分整体師として通用し、職業として立派にやっていけます。 整体師を目指す方は、根治療法を目指すといいでしょう! リサイクルトナーとは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法である。按摩の按とは「押さえる」という意味であり、摩とは「なでる」という意味である。 また、江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶが、視覚障害者の間では、これを盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉になっている(マスコミ等では『マッサージ師と言い換える事もある)。一方、外国語である『マッサージ』に対比する日本語の意味である按摩という言葉を否定するのは、日本古来の施術法の否定であり、いわゆる『言葉狩り』でしかないとして、日本古来の施術方を伝承・継承する意事から、あえて按摩師と称して営業する施術師もいる。 日本では、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年12月20日公布)において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ按摩を業として行う事が出来ない。しかし、按摩の手技定義が法的に明文化されておらず、また患者に害のある行為だと立証されない限り「職業選択の自由」の観点から法的に禁止出来ないとの最高裁判断もあり、マッサージなどと同様に野放しなのが実情である。 ヒューマンには、従来通り按摩と表記して無資格者が按摩を行うのは違法であり、厚生労働省通達でも保健所への取り締まり強化を指示している。これは、正規国家資格保持者と無資格者を混同せぬよう、また施術行為を広告で明示する事で世間の混乱を抑える役目が期待されている。 あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律で、資格要件に罰金刑以上(死刑・無期懲役・有期懲役・禁固を含む)の刑罰を受けた者は取得資格がほぼ与えられないので、未成年時の素行には注意が必要である。 按摩の按は瀉法を意味し摩は補法を意味すると按摩手引には記載されており、経絡に沿って「虚」「実」を判断し、按と摩を使い分けて、身体の気血を循環させる事により自然治癒力を高め、健康を維持・促進させる事を基本的な考え方をしている。しかし、按摩手引を詳細に読むと、経脈についての誤った記述があること、あるいは、この書自体が一般向けに書かれたもので専門家向けではないことを考えると、按と摩を瀉法と補法に分けるのは、東洋医学的に根拠が希薄と考えられる。 リサイクルショップ 神戸には、上から下に施術していくとあるが、これは着物を常用していた時代に、はだけるのを防ぐためにそうしていただけであって、臨床的な意味は全くないものと思われる。 名称はマッサージであるが、その手技は「あん摩」そのものである。一般人がサービス内容を理解しやすい名称としてよく使われている。 先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して?痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による?痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。当時においてはこれも有効的な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。 世界最古の医学書である黄帝内経には、いくつかの部位に按摩の文字が書かれているが、具体的な手法については記載がない。『導引按?は中央より出ず』とあり、この導引按?が按摩とする人がいるが誤りである。他にも『導引とは筋骨を揺がし支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑え按ずるを謂う。?とは手足を捷挙するを謂う』ともあるように、これは現在でいう気功のことであり、按摩そのものを指す記述ではないと思われる。また、骨折・脱臼の治療などの今日の外科・整形外科の分野に属する治療や包帯法などに関する分野も扱っていたと考えられている。 中国においては隋の時代には按摩は独立した専門科として扱われるようになった。当時の医師達は按摩を「外邪の滞留を体内から除き、負傷によって体内に侵入する事を防ぐ」方法として内科・外科・小児科を問わずに行われた。朝廷内でも按摩博士、按摩師、按摩生が設置された。北宋以後においては、按摩の理論的な発展が見られ、『宋史』芸文志によれば按摩の専門書が書かれたとする記事がある(但し、現存せず)。明以後には医学における按摩行為を特に「推拿(すいな)」とも称されるようになった。 カタログギフトには養老令において、唐王朝をまねて典薬寮に、按摩博士、按摩師、按摩生をおいたとされる。この養老令は大宝令と全く同様のものとされるため、少なくともその時代には按摩が存在したと思われる。しかし、その当時の按摩と現在のものが、どのような類似性があるのかは不明である。ただ、同時代の文献によると、当時の按摩には現在でいう包帯法も含まれていたと考えられる。 江戸時代になると、宮脇仲策『導引口訣鈔』や寛政11年(1799年)藤林良伯『按摩手引』、文政10年(1827年)太田晋斎『按腹図解』などにより、按摩は体系付けられた。特に『按腹図解』の中の『家伝導引三術』では『家法導引の術に三術あり』として「解釈、利関、調摩」というそれぞれ「揉捏法、運動法、軽擦法」の基礎になっている術が記載されている。 あん摩の流派には、吉田流あん摩術と杉山流あん摩術が有名であるが、現代の各種法令では、流派を名乗る事は許されていないので、コマーシャル的に意味が無い状態である。 中国大陸明代以後、医療行為としての按摩は推拿(すいな)と呼称されるようになった。これは日本では中国整体と呼称されるものであり、現在の中国政府も公式な中医学の医療用語として「推拿」を採用している。現在、日本国内の按摩と中国大陸の推拿は、技法は近似でも用法が全く違うので要注意である。 日本において中国整体という民間療法が行う技法は、今現在、日本でいう按摩と全く同一技法及び用法である。これは推拿専門の教育機関が日本国内になく、按摩が推拿の技法に一番近いことも関連する。